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ほぉっておいても大丈夫(仮)

風呂が沸くまでのあいだに書く何か

続けられていることを箇条書き

ブログ以外で

顎関節症が激しいので、風呂で顎のストレッチ

・軽い腹筋とスクワット、就寝前の柔軟体操

・毎日1時間以上のウォーキング

これぐらいである。今日、山岸凉子の『テレプシコーラ』を読んで、毎日柔軟の努力があってのバレリーナ、毎日執筆の努力が会ってこその漫画家、ライターだと思ったわけですが、思い出したように更新しなきゃ、と。

寝る前に強い光(PC)を見ることが良くないので、このブログの更新をどうしたものかと思っている。いっその事、早朝更新にするか。いや、それは書くことに窮するので、どっかのタイミングを決めて書きたい。まぁ仕事終わってからですかね。

箇条書きにするでもなく、ひたすら本をよむ毎日です。フィクションや評論、コミックやエッセイなど関係なく、活字に救われている。そして、家にいる時のBGMはチープなダンスホール・レゲエが案外イけることに気づいた。ワン・ドロップ的な。

5月からネット環境の乏しい場所でしばらく寝食を過ごすので、それも含めて今後の課題。そもそもほっておいても大丈夫になるには、もうしばらくかかるかな。

1年計画です。


Roots Radics - Live At Channel One

微熱が

体温が上がって下がって差が激しいと疲れる。

「篭もると アニメばかり見てしまう。」

飲み会でそう言うとなぜか笑いが起きた。

 

今はそんなに見てないから、篭っていないのか。

いや 篭っていないから アニメを見てないのだろうか。

まぁ、いいや。

どちらが先でも、わたしです。


Turn A Gundam Ending 1- AURA [mp3]

方角を気にしたら引っ越し先の選択肢が...

        言語化できないけどそういうふうにできているらしい

護摩祈祷のとき「今度引っ越すつもりです。」と言ったら、「方角が…」云々と言ってきた親戚の家に、今日相談しに行ったら、親身になってアドバイスしてくれた。「気学」というものに基づいて、方位の吉凶を占うらしい。占いに関してはよくわからないが、“気”というものはなんとなくわかるし、感じられる。例えば、玄関を掃除しないと気の流れが悪くなるという風水的なものから、この場所から邪悪な気配がするといったオカルト的なものまで、ある場所の流れに対して、ぼくらは何かしらよい、わるいを感じてしまう。(感じない人もいるだろう)

生まれた年で星が決まるらしく(月や時間もあるそう)ぼくは七赤金星で、今年は北西が吉方角で、南と北は最悪らしい。地図を見ながらマーキングする。神戸から京都に行くのはよくはない方角だそうで、よい方角にするために、目的の場所を決めて、そこに引っ越す前にどこか仮住まいの場所にしばらく住んでそこに根をつけて、そこから目的の場所に移動するといいようだ。方位よけというらしい。

職場の場所は決まっているので、まず、仮住まいの場所だとしても、よい方角になるように選び、そこからまた引越し先を選ぶとなると、随分絞られてしまう。さて、どうしたものか。

物件をいくつか見て回ったが、金額や最低限の設備は譲れないとして、似たような条件の物件の中からどうやって選ぶのか。ぼくは、「ここに住んだらうまくいきそうだ。」というのは重要視している。とういっても、それは”気”や方角なのかもしれないけど、自分では言語化できないのである。

かつて引っ越したら心機一転、やることがどんどんうまくいったことがあり、逆に空回りしてやることなすことひどいことになったこと、両方ある。どちらも、それこそ気のせいと言われればそれまでだが、気のせいでもあるので、気とか流れって大切だなと思う。同時に自分ではなんともわからない、得体のしれずコントロールできないものなので、他人様、とくに年上の人の言うことはなるべく素直に聞くことにしようと思う。

引っ越しできるのかな。

 

こりゃほぉっておいたら大丈夫じゃないんで…

           引っ越しの準備をして、切なくなる

引越しするので、少ないと思っていた荷物を整理してみると、けっこう捨てるものがでてきた。人が生活しているので、荷物というか持ち物はどんどん増えていくもので、「少なく生きる!ミニマム!モノきらい!」と三拍子で日々自分に言い聞かせていても、買ったりもらったりするとどんどん増えていくわけで、整理しないと増える一方である。

自分の中で捨てられないものとして、手紙がある。そんなに筆まめな方ではないけど、折を見て手紙のやり取りをしている人は何人かいて、4,5年も前の手紙を後生大事に取っておいても仕方がないよなと思いながら、「手紙の入った缶々」は重くなっていく。

引っ越しのたびに整理しているのだが、捨てる前だからと読んでみるととても切ない気持ちになる。この時こんなことやっていただの、この人連絡全然してないだの、思い返して切なくなる。写真が一緒に入っていたらもう大変だ。取り戻せない時間を封じ込めたペーパーは、仮そめの生命を与えられた魔法人形が、最後の魔力を消費するがごとく幻を見せてくれる。自分が何を書いて送ったかは、当然手元にはないので、相手の書いた文章や絵しか見られないわけだが、そのせいでさらに魔法の効き目が強まる。つまり、かつて自分であったはずのものが発したことばが、時間を経て、現在の自分に迫ってくるのだ。

過去の自分が「Yo~!調子どうなん?」と未来の(現在の)自分に挨拶をしてくる。しかし、それに返答することはできない。すでに過去の話者であるかつての自分は時間の渦に消え、テキストも存在しないからである。いや、テキストは手紙を送った人が持っているのかもしれないが、自分では管理しようがないのでどうしようもない。だからこそ、より強固になった過去の自分の思念に心を焦がされるのだ。

そう、たぶん今がそんなに輝いてない(ように感じる)からこそ、過去の亡霊が強く見えるのだろう。所詮、幻はまぼろしだし、過去の自分は点で捉えることができないが、線で現在に繋がった紛れもない自分なので、こんな時は諦めて寝てしまうしかない。それしかない。

朝起きたら、引っ越しの準備のために散らかった部屋を見て、自分がけっこういろんなモノが好きだ、好きだったということを認めてしまいたい。自分はいろんな物事に興味がでて、そのうち何個かは割とスグ興味を失いもする(割合が少ないが残るものはあるけど)。それにしてはここ2年で好きなものがずいぶんと減ったのは嬉しいんだ、と思うことにしよう。

丸刈り

         突然、『~である』調で書きはじめるように

そろそろ髪をなんとかしたいと思っていた。

一時期の服にお金をかけていた頃からするとファッションにはそれほど頓着しなくなってから、美容院にも行かなくなっていたが、自分で切ると同じような髪型にパターン化してしまうことと、外で切ってもらうと髪型が整うだけでなく、こころもセットアップし直されるされるという効果も兼ねて「どっかで切ろう切ろう。」と思っていた。

何かを読むと散髪という言葉に引っかかり、待ちゆく人の髪型を気にする日々。

しかし正直、新しくサロンやバーバーショップに行くのが億劫だった。2年くらい行っていないと、最後にどこで切ってもらったかも忘れている。

髪を切らなくちゃ 髪を切らなくちゃ

と思っているうちに髪が伸びて

まあこれでもいいか

と思っているうちにまた髪が伸びて

また今日も

髪を切らなくちゃ 髪を切らなくちゃ

と思っている

              (髪/村椿菜文『神様は7日目に休んだ』)

というように、日々が過ぎていって、今朝来るべき時が来たようで、目が覚めると髪を切りに行こうとまず思った。

が、サロンを探して、電話して「岡ですけど、予約したいのですが。」「初めてです。」と言った電話でのやり取りから、美容師さんと髪型を相談し、切ってもらっている間の雑談のこと、昨日風呂に入らず寝てしまったから今日髪の毛洗って行ったほうがいいかな、でも向こうでシャンプーしてもらうしな、などと考えてしまい「これはアカンぞ。」と思っていたら、矢も盾もたまらず風呂場に向かいバリカンを手にしていた。

つるつるボウズにするのに抵抗はあったので、憶測で7mmにしてみるとざっくりいってしまったので、どうしようと思いながら、「あ、これボウズで後頭部は完全に残すちょんまげにしようかな。」と思ったが、ひとりでは難易度が格段に高いため、少しだけ濃淡をつけた。ほぼほぼボウズの出来上がりである。

切ったあと、自分の頭の形がそんなに良くないことを思い出して触ったり、頭皮を伸ばそうと試みたりしたが、頭の形が変わるはずもなく、21歳くらいの満面の笑みを再現しようと笑ったら、でこぼこした人生を経たまぎれもない現在の自分の翳のある笑みがあった。

思えば、人生の選択なんてちょっとした勢いである(こともある)。あの時ラジオを始めたのもちょっとした気まぐれで、島に移住したのもハローワークでの数秒の検索のおかげだし、あの時女の子を振ったのもなんだか「アカンわ。」とか思ったからである。それは、この時家で髪切った後へらへら笑っているボウズ頭と同じく、ただの偶然と勢いの結果であり、そこにはそんなに秩序や優劣なんてない。朝起きてすぐ啓示を受けたように髪を刈るかのごとく、これまでうっかりいろいろやってきたんだなと、そしてこれからもうっかりいろいろやるしかないんだと腹をくくりたいのだ。くくりきれてないけど(これからくくってゆくのだ、たぶん)。

そんな感じで文体を「~である」調にしてみたが、どうでしょう。

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身体の反応、アレルギー、違和感

              お腹壊すというサイン

久しぶりにお腹壊しました。別に悪いものを食べたわけではなく、ときおりお腹が張って、下痢気味になることはあります。そんなときは、食べ過ぎに気をつけたり、うんと休んだりして整えようと思ってます。

8年前、毎日お腹壊していたのを思い出します。2009年のことです。当時、仕事と週一のバー運営と、なんやかんやでストレスを抱えており、8月に退職しましたが、お腹の調子が毎朝悪くて、すぐトイレへ行っていました。胃の調子も悪く、何を食べてもムカムカして、それでも随分若かったのでイライラして食べすぎることもありました。胃腸科へ行って、胃カメラ飲んでも「きれいな胃ですね。」と言われるだけで、なんともないようで、野口整体や、玄米食などの食事療法、ストレス発散のための気分転換など、いろいろ試しましたが、あまり効果はありませんでした。

結局ストレスが原因なのかなんだかわかりませんが、環境を変えたり、仕事を変えたりして時間が経つと少しずつ少しずついつの間にか治っていました。ふしぎなものです。今でも時々お腹の調子が悪くなると、無理してないかなと、自分を省みる時間をとります。

ぼくはザ・花粉症ではないと思うのですが、むずむず反応する時はあります。年によって違います。何かの生活の加減なのか、生体の神秘なのか、アレルギー物質の気まぐれなのかわかりません。今日、知り合いの古本屋の人に会ったらマスクをしていて、ハウスダストのアレルギーだと言っていました。そういえば、高校の時まではアレルギー性鼻炎で、ホコリに弱く、くしゃみ鼻水、鼻づまりは日常茶飯事でした。今はなぜかほとんどありません。数年前までは全く心配していなかったのに、別の所が調子悪くなってもいます。その反応は、日によってまちまちですが、反応そのものに惑わされて振り回されるのは、しんどいだけやなと思っています。

        ヤバそうやと思ったら、さっさとやめて次や、つぎ

昔、時々遊んでいた人のブログを見て、楽しそうだけど、なんだか違うなと思いました。違和感とでも言うのでしょうか。京都にいた頃の昔の友人と2年くらい会っていないと、変化し発展と成長(?)している知人を見て、取り残されたように感じるかと思っていましたが、もしかしたら、変わったのは自分じゃないかと思います。

ちょっと離れて距離を取ることで、自分がいかに無理をして歩調を合わせようとしていたか、違和感をごまかすようにキャッチアップしようとしていたのか(!)わかった気がします。我慢や無理もしていました。仕事しながらバーをしていた時、イヤダイヤダと心の何処かで思いながら「いや、そうじゃない、これはやりたいからやっとぉねん。」と言い聞かせて鞭を打っていた自分がいました。

こう表現していいものかわからないのですが、「夢や、やりたいことが実はない」と言った今、今まさにああそうなんだと身体でわかるような気がしています。そんなに特別なことしなくても、別にいいんじゃないかと。ヤバそう、変だなと感じたら、さっさと去って、心地よい場所を探すだけです。それだけのことです。

ようは自然体でいいのです。でもだからといって、一言でなんでも片付けるのはよくないとは思うので、さらに言うなら自分の”自然体”というものも変化しているはずなので、その時その時でいいと思ったことをやる、「打ちやすい球が来たら打つ」(どこぞの安打製造機が言ってた気がする)精神でいこうかなと思います。

どうしようもなさを感じて

      「作家の描きたい」がここにある!ってコピーはええな

秀良子『STAY GOLD』1巻読んだだけやけど、名作の予感です。少女まんが的な、もどかしくて二人の関係がなかなかすすまない、のっぺりしたつらさが感じられて、読んでて、いじらしくも楽しい。少年漫画のテンポの良さからしたら、このなかなか話が進んでいかない(二人の思いが重ならない)イライラは、最後いい感じのハッピーエンドになるハズという着地点でのカタルシスに支えられているのでしょうか。ぼくはそれがなくても楽しめますが。

構図としては、ひとつ屋根の下に住む、異母姉の息子である駿人(甥っ子)から優士(叔父)への幼い頃からの憧憬の積み重ね、あるいは当初からの強いリビドーが、中学生になったときに弾けた、さあこれからどうするという感じですかね。

ぼくが好きなのは3.5話。並行して、喫茶店での何気ない会話で叔父である優士の異母弟のコウへの、その友人日高からの秘められた想いが綴られているところです。表面的にはずっと気のおけない友人として付き合っていましたが、日高は心の奥底で恋心にフタをして生きてきました。それが、甥っ子(駿人)が同性愛者かもしれないぞという、友人(コウ)のつぶやきによって、日高はコウへのこれまでの想いと関係性を心のなかで反芻します。コウはとてもモテて彼女が次々できるのですが、それに対する嫉妬であり、同時に諦めも含まれる儚い願い。

何百何千 生まれてから 死ぬまで

お前が 無駄にする ただ1回で いいから

 それが、コウの「同性を好きになる気持ちも全くわからんでもないし 日高は?ぶっちゃけ人生で1回くらいそっちもありかなって思うときない?」という質問に、(彼はすぐ用事ができて去っていってしま)ひとり悶絶する日高がかわいくてたまらなかったです。「なんだって なんださっきの なんつったよ 1回くらい? 1回くらいいいかな…? いいのか? そんなもんなのか? よくねーだろなんだこれドッキリかよ つーかもしかしてバレてるってこと?どこまで?いつから? いやでもバレたとしてのあの発言だったらそれってどうなの(中略)どうもこうも もう何年も前にあきらめて 一生友達としてそばにいられたらそれで いいと 思って今日まで」

コウが席をたった直後に、倒れ込むように机に突っ伏すまでのコマ割りのセンスもいいなーって思いました。バレてるかバレてないかわからないようなコウの表情の描き方もいい。

若さか

無知か

混乱か

それはまるで 嵐のように

 駿人×優士での二人の思いとは裏腹な行動とスレ違いも気になりますが、はてさて。

 

STAYGOLD 新装版 1 (onBLUEコミックス)

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