ほぉっておいても大丈夫!

風呂が沸くまでのあいだに書く何か

昨日観た映画の解釈を引きずる回

               言葉ではない会話

少し前、東京のビリケンギャラリーさんでやってた近藤ようこ展を観に行きました。(筆者は関西在住です。)まぁ、絵を観に行くだけに東京に行くなんて酔狂ですね。買えるかなと思ったけど、全部売り切れてました。

 

近藤さんのマンガは、昔お店やっていたときに書棚にあったのでその時(5年くらい前かな)から読んでいるけど、好きです。民族学的な興味から来るであろう、歴史モノと、揺れ動く男女の関係等をその辺にいそうな市井の人々の視点から描く日常短編を中心に描いているけど、ぼくは後者のほうが好きです。最近漱石の『夢十夜』をマンガ化したものを発表していましたけど、未読というか積読です笑。

 

同時期に刊行されてた『帰る場所』も買ってて今日読んでたんですけど、表題作がとてもよかったです。

主人公は中年サラリーマンで、出張の折に小学校の時に一時期住んでいた街に立ち寄ります。父親の都合で転校を繰り返していて、その街に住んでいるときに初めて”親友”と呼べる友達が2人できました。商店主の息子である2人は街で生まれ街で育ち、これからもその街で生きていくつもりでしたが、主人公はやがて父親の都合で引っ越しすることになります。夏祭りを最後の思い出に、引っ越して行った主人公ですが、帰ってきたその街で薬局を継いでいるかつての親友のひとりと出会います。が、名乗らずに挨拶して去っていきます。彼は自分のことを忘れたのかもしれないけど、「もうおれにも帰る場所があるんだから、と満足そうでした。

ぼくは、たとえ気づいていたとしても、親友も声かけなかったのかもしれないと思います。昨日観た「ラ・ラ・ランド」のラストシーンで2人が声をかけなかったように、それぞれのフィールドで元気でやっているなら、「んじゃ」って心でつぶやいてってことでええやないかということですね。わざわざ、語らないことがコミュニケーションになっていることがあるのだと思います。それが"いき"なのかも。(いきとは、交わりたいけど交われない諦めを表しているって九鬼周造が言ってたような。)

心の隙間の引っかかりを埋めるでも、洗うでもなく、そっと撫でて優しく刺激してくれるような小品集、切なくて愉しいです。おすすめです。展示では、一枚絵を観て線の繊細さと、密度の薄さが際立って、逆に多くの情報を伝えてくれる気がしました。

近藤ようこさん:twitter @suikyokitan

 

帰る場所 (ビームコミックス)

帰る場所 (ビームコミックス)