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ほぉっておいても大丈夫(仮)

風呂が沸くまでのあいだに書く何か

こりゃほぉっておいたら大丈夫じゃないんで…

           引っ越しの準備をして、切なくなる

引越しするので、少ないと思っていた荷物を整理してみると、けっこう捨てるものがでてきた。人が生活しているので、荷物というか持ち物はどんどん増えていくもので、「少なく生きる!ミニマム!モノきらい!」と三拍子で日々自分に言い聞かせていても、買ったりもらったりするとどんどん増えていくわけで、整理しないと増える一方である。

自分の中で捨てられないものとして、手紙がある。そんなに筆まめな方ではないけど、折を見て手紙のやり取りをしている人は何人かいて、4,5年も前の手紙を後生大事に取っておいても仕方がないよなと思いながら、「手紙の入った缶々」は重くなっていく。

引っ越しのたびに整理しているのだが、捨てる前だからと読んでみるととても切ない気持ちになる。この時こんなことやっていただの、この人連絡全然してないだの、思い返して切なくなる。写真が一緒に入っていたらもう大変だ。取り戻せない時間を封じ込めたペーパーは、仮そめの生命を与えられた魔法人形が、最後の魔力を消費するがごとく幻を見せてくれる。自分が何を書いて送ったかは、当然手元にはないので、相手の書いた文章や絵しか見られないわけだが、そのせいでさらに魔法の効き目が強まる。つまり、かつて自分であったはずのものが発したことばが、時間を経て、現在の自分に迫ってくるのだ。

過去の自分が「Yo~!調子どうなん?」と未来の(現在の)自分に挨拶をしてくる。しかし、それに返答することはできない。すでに過去の話者であるかつての自分は時間の渦に消え、テキストも存在しないからである。いや、テキストは手紙を送った人が持っているのかもしれないが、自分では管理しようがないのでどうしようもない。だからこそ、より強固になった過去の自分の思念に心を焦がされるのだ。

そう、たぶん今がそんなに輝いてない(ように感じる)からこそ、過去の亡霊が強く見えるのだろう。所詮、幻はまぼろしだし、過去の自分は点で捉えることができないが、線で現在に繋がった紛れもない自分なので、こんな時は諦めて寝てしまうしかない。それしかない。

朝起きたら、引っ越しの準備のために散らかった部屋を見て、自分がけっこういろんなモノが好きだ、好きだったということを認めてしまいたい。自分はいろんな物事に興味がでて、そのうち何個かは割とスグ興味を失いもする(割合が少ないが残るものはあるけど)。それにしてはここ2年で好きなものがずいぶんと減ったのは嬉しいんだ、と思うことにしよう。