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ほぉっておいても大丈夫(仮)

風呂が沸くまでのあいだに書く何か

あんた誰だ

             神戸電鉄で山越えした

鈴蘭台にある親戚のやっているお寺で、月例の護摩祈祷というのがあります。久しぶりに参加したのですが、おつとめ後、いつも食事の席が設けられます。

食事のお運びの手伝いをした後、ボケてきている親戚のおじさん(80歳を超えているのでおじいさんですね)とひとつの部屋でしばらく一緒に過ごす時間がありました。

彼は、ぼくがまだチビ助だというイメージがあるみたいで、「老けたなぁ。」と言った後「何してるんや?」や「ひとりなんか?」と言った親戚の人の定番の質問を繰り返してきました。やや、気まずくなりはにかんで、いまはひとりで、本屋の仕事をしているが、来月から仕事を変えるということを伝えました。その後具体的な場所や、何をしているかということを次々に質問してきました。それに対して、はっきり答えられない自分がいやになりました。なんだか、騙しているようですが、次の瞬間には忘れているようで、何を言っても気にしないでよさそうでしたが、どうも困った笑顔になってしまいます。

次に話題は、ぼくが誰の息子であるかどうかということになりました。「ケイコねえちゃん(ぼくの祖母・故人)の息子か?」とか「あんた名字なんやったかな?」とか、質問されるたびに答えるのですが、5秒後には忘れているらしく、ループするように同じ質問戻ってきます。そのたびにぼくは「石倉(母の旧姓)の娘の息子です。」とか「祖母の通っていた学校は知らない。」とか答えていました。およそ30回ぐらい同じような問答を繰り返しましたが、結局、彼はぼくが何者なのかわかったのでしょうか。明日には忘れて、また半年後に会ったときにおなじような質問を受けるかもしれません。

小さなとき、親戚の集まりに行ったときに、なんだかわからないけど誰かおじさんと、「何が好き?」とか「何年生?」とか話してたのを思い出しました。その時どきで好きなものが変わっていたし、齢も違いました。バイクに乗せてくれた、謎のおばさんもいました。今思えば親戚ではなく、そこに居合わせた誰か(親戚の知り合いとか)だったのかもしれません。その人が誰やったかなんて、今となってはわかりませんが、バイク上で浴びる風とか、車に囲まれた景色は覚えている気がします。

「あんた誰だ?」って人とまぁなんとなく会話して一緒に何かして、帰ってゆくというのは実はよくあることなのかもしれません。逆に言えば、相手が誰で、自分とどんな関係かということを気にしながら喋ることって、あまりないんじゃないかと思いました。

大叔父は「パズルやね。」と言って笑いました。